2015年 04月 14日
爆心地に近かった浦上天主堂の廃墟は原爆の威力と悲惨さを物語る長崎の原爆遺跡となる可能性がありました。広島の原爆ドーム同様、平和祈念のシンボルとして永久保存しようとする被爆者と市民の声は高かったのですが、残念ながら再建優先の考えから取り壊されてしまいました。そういえば長崎に原爆被害の象徴という建物が思い当たりません。遺構より物語るものはないのではないでしょうか。様々な事情があったのですが、もし保存されていたら原爆ドームのような貴重な世界遺産になったのに残念です。 天主堂から少し川側に歩くと見えたので近づいてみると、「浦上天主堂 鐘楼ドーム」と表示板が出ていました。双塔のうち、左塔の鐘楼ドーム、直径5.5メートル、重さ50トンもあるのですが、なんと35メートル離れたこの川まで吹き飛んだのでした。 ドームが川の流れをふさいでしまうので戦後に撤去が計画されましたが、あまりの重さに断念し川を移設したそうです。「こんなに大きなものが吹き飛ぶなんて・・・。」原爆の威力と凄まじさをまざまざと感じたのでした。 #
by Blog_Maya
| 2015-04-14 22:34
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2015年 04月 09日
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| 2015-04-09 13:44
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2015年 04月 06日
一方体内まで焼けただれた被爆者たちは「水を、水を」とうめき叫びながら死んでいったそうです。 昭和44年、その痛ましい霊に水を捧げて冥福を祈り、公園の入り口入ってすぐの場所に直径18メートルの泉を設けました。 「のどが乾いてたまりませんでした 水にはあぶらのようなものが 一面に浮いていました どうしても水か欲しくて とうとうあぶらの浮いたまま飲みました」 と、被爆した少女の水を求めてさまよった手記が正面に刻まれていて、胸が締め付けられます。 昭和30年建立の平和祈念像、長崎出身の彫刻家北山西望氏制作。青銅製、高さ9.7メートル、重さ30トン。 天を指した右手は「原爆の脅威」を、水平に伸ばした左手は「平和」と、軽く閉じた瞼は「原爆犠牲者の冥福を祈る」という想いを込め、この像を神の愛と仏の慈悲を象徴としたとあります。 毎年8月9日の原爆の日を「ながさき平和の日」と定め、平和記念式典が行われ、原爆で亡くなられた犠牲者の冥福を祈るとともに、長崎市長の平和宣言で核廃絶と平和のメッセージを長崎から世界へと発信しています。2000年からテレビでも全国放送されるようになったのでご存知の方も多いと思います。その時だけでもと黙祷させていただいているのですが、この日は合わせる手に力が入りました。 #
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| 2015-04-06 09:31
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2015年 04月 04日
昭和20年(1945年)8月9日11時2分、アメリカのB29爆撃機から投下されたプルトニウム原子爆弾(ファットマン)は長崎市街中心から約3キロメートル外れた松山町171番地の上空約500メートルで炸裂しました。爆心地付近で4000度、一キロ離れていても1800度の熱戦と爆風、そして放射能がばらまかれた中心地。写真だと分かりづらいですが、中央奥に落下中心地標柱として黒御影の碑が立っています。 原爆の爆風で爆心地周辺は焼け野原になり、ほとんどの樹木は焼き尽くされましたが、今ではすっかり緑に囲まれ、私が訪れたときは春の清掃活動の真っ最中でした。公園の周囲にも約500本の桜が植えられ、まだちょっと早かったですが、桜の季節は花見が出来る憩いの空間となっているそうです。犬の散歩で来られている市民も見受けられ、のどかな公園でした。 しかし遠く離れた反対側にはこんな案内板があり、下を見ると ここも清掃中でしたが、「そちらに見に行っていいですか?」と尋ねるとOKしてくださいました。 #
by Blog_Maya
| 2015-04-04 09:03
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2015年 04月 02日
古き長崎の面影を残す景観に中島川にかかる石橋が数多くあります。その中でも本格的石橋として日本最古のアーチ式眼鏡橋は有名。長崎行きを決めた時、真っ先に頭が浮かんだのがこの眼鏡橋でした。ガイドブックには「路面電車「公会堂前」下車、徒歩8分」とあったのですが、電車の停留所で地元の方に「賑橋の方が近いですよ。」と教えていただき下車、徒歩1分。川面に映った影が双円を描くことから「眼鏡橋」と呼ばれるようになりました。1960年に国の重要文化財に指定されています。 橋の長さは22メートル、幅3.65メートル、川底までの高さは5.46メートル。1934年(寛永11年)興福寺の二代目住職 唐僧黙子如定(もくすにょじょう)が参拝者のために建立。中国明朝式石橋という当時の最新技術が導入され、以後石橋技術の模範とされ全国に影響を与えました。1648年(慶安元年)の洪水で損壊するものの石工平戸好夢(ひらとこうむ)が修復しました。その後は高欄に修復の形跡があるものの流出することなく度重なる水害に耐えてきたそうです。 しかし1982年(昭和57年)の長崎水害の時、中島川の橋が流失、眼鏡橋は流失は免れたのの、半分程損壊するという深刻な被害を受けました。修復のための部分解体で江戸の物と見られる階段が左岸橋端から見つかったため、スロープとなっていた橋端は階段へと変更しました。橋端はは1873年(明治6年~人力車通行のため階段をなくしたらしいのですが、1948年(昭和28年)以降石積みの緩みが目立ってきたため、車両の通行が禁止されたまま現在に至っています。 #
by Blog_Maya
| 2015-04-02 12:43
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住み慣れた小樽の街や日常、自作の素象人形、他の創作品を紹介していきたいと思います。 by 摩耶 素象(そしょう)人形とは
「素」とは無地、飾らないこと、「象」とは心に浮かんだ姿、かたち。 彫刻家 小林止良於氏が創始の正確なデッサンに基づいた人形です。素材は陶土で成形後、縮み割れを防止する為、中を空洞に貫き乾燥後、焼成したテラコッタです。
プロフィールを読む 外部リンク 風の布・パピヨン Ryokusha.com 屋中秋谷 緑舎の窓 mihoの花 国本貴文「素材を生かす物語」 北海道美術ネット別館 aqua 庄司いずみの野菜ごはん カテゴリ
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