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2011年 09月 23日

個展のお知らせ  「素象人形と陶創作の世界」

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ついにあと1か月となりましたが、札幌では初めての個展を予定しています。 
八年前は子供達も小さかったので地元小樽で開催しましたが子供も成長しましたし、先輩の勧めもあって札幌に決めました。 
(でも熱出さないでね。)
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今回は無我夢中で手掛けてきた素象人形の創作を振り返りながら、新たに見出したカメラオブジェ、そして新作のアクセサリーなどを初披露の予定です。  初めての札幌開催で不安も緊張もありますが、様々な方々から忌憚なき意見を頂けるよう、あと一カ月全力を尽くそうと思います。 


個展 「素象人形と陶創作の世界」

2011年10月24日(月)~29日(土) 10:00~17:00 (初日13:00より、最終日16:00まで)
らいらっく・ぎゃらりぃ
札幌市中央区大通西4丁目 北海道銀行本店ビル1階
(011)233-1029
 
 
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by Blog_Maya | 2011-09-23 10:30 | 素象人形 | Trackback | Comments(4)
2011年 08月 26日

ひとつひとつ・・・

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10月の札幌での個展に向けて忙しい日々を送っています。 小樽では8年前に開催したことはあるのですが、あの時はホテルのギャラリー任せで接客すら上手く出来ませんでした。 今回ギャラリーにお願いしてあるのは展示台とクロスを借りることだけ。 芳名帳やペンは勿論、看板も自分で書かなくてはならないし、什器だって用意しなければ・・・それより案内状の写真が上手く撮れない!!(汗) 

そんな時 尊敬するY氏に「1人で全部するのは凄く大変だけれど、必ずその経験が財産になるから。」と、アドバイスいただいたのです。 とても説得力ある言葉に少々疲れて気味の私の背筋が伸びました。 すると今までと違って 自分で築き上げていってるという充実感を感じるようになったのです。  単純かもしれませんが・・・。 個展まであと二カ月を切りました。ベストを尽くして開催出来るように改めて頑張ろうと思います。
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by Blog_Maya | 2011-08-26 10:31 | diary | Trackback | Comments(4)
2011年 04月 27日

素象人形 失敗編

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5ヶ月程掛けて制作した作品を焼成したのですが、
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割れてしまいました。 こんな大きな割れ初めてです。  原因は後半 完成を焦りすぎて湿り具合の確かめをあまりしないで粘土を重ねたことと、接着を十分にしなかったためです。  気落ちしましたが、全て自分が原因なので仕方ありません。  今回は工房ではなく自宅で全て作ったこともあり、どうしても集中しきれなかったのですが、この環境に慣れないといけません。  もう一度 今度は慎重に制作したいと思います。

このモデルさんとは夏にお会いできる可能性があり、なんとかお見せしたかったのですが残念です。
でも正面アップの写真だけでもプレゼントしようかな・・・。 顔は上手く出来たんですよ。 それだけに悔しいなー。
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by blog_maya | 2011-04-27 22:22 | 素象人形 | Trackback | Comments(0)
2011年 02月 19日

ご無沙汰していました

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今まで素象人形の制作は陶芸教室の一角をお借りして制作していましたが、昨年から陶制作を始めたこともあり工房では釉薬も使う陶制作を、人形は自宅で作るようにいたしました。  と言っても制作を始めたのは夏過ぎから。 子供に手が掛からなくなったとはいえ、やはり家にいると制作に集中できる時間は限られています。 初めてなのでなかなかペースが掴めませんでした。 でもさすがに今月に入ると「いい加減仕上げよう。」と思い、没頭して制作していました。 途中 集中力が途切れたり、疲れていたのか家事で手にやけどを負ってしまったり、家族が熱を出したりいろいろありましたが、ようやく完成しました。

自己採点は67点、まだまだ満足出来る出来ではありませんが、今の自分の力を把握して次に進む事にしました。 今日は朝から中抜き作業に入り、仕上がったのは夕方、これから約一ヶ月の乾燥期間を経て焼成します。  一度乾燥に入るともう修正が効きません。 
この間 仕事上の来客があったり、札幌タワー展望台からや雪あかりの路を撮影したりしていたのですが、これにかかりっきりになっていました。 もっと器用に物事を処理出来たらいいのですが・・・。 おまけに これから所用があって遠出しなければいけないので これから荷造りしなければなりません。 アップは時期はずれになりますが、帰宅してからにいたします。
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by blog_maya | 2011-02-19 20:17 | 素象人形 | Trackback | Comments(2)
2011年 02月 02日

芸術人形指向  <下>

芸術人形の具体性

 人形を芸術として具体的に捉えようとすると、第一に問題になる点は美術工芸界の中で芸術人形の確立した位置づけが安定していないことと、もっと突き進めると主として人体像を作品としている彫刻と同じに人体像を模している玩具的装飾人形との狭間で芸術人形の道とは何かを探しあぐねているいるのかもしれない。 

  可愛らしさと綺麗さのみに過ぎると玩具人形の飾りものになってしまうであろうし、綺麗さを押さえて造形の論理に傾くと工芸の置物になるか、彫刻となってしまうのである。 となると、当然彫刻や工芸の置物とは別の存在として人形を芸術の中に位置づけなければならないのである。 そのためには何を目標にすべきかの問題になるのであるが、これは芸術人形がまったく別な世界となってしまうのものではなく、人形を芸術として捉えようとする限り、彫刻や工芸と同じ造形の基礎概念が要求されるのである。 要するに立体造形の本質的な形式は同じなのである。 又これを無視しては立体像に美を求める芸術的表現は成立しないのである。 例えば彫刻で最重視される量感にしても比例や釣衝の感覚的な捉え方や、停止して動かない形に必要な動静や律動の与え方にしても、形に求める調和の原理にしても、まったく彫刻や工芸の置物と同じなのである。 彫刻では量感を弱める恐れがあるので余り必要としない色彩が人形の場合は大切な命となることが多いのである。 となると、彫刻に色彩を施したならば立派な人形になるのではないかと言うことになるが、彫刻はあくまで彫刻であって人形ではないのである。 では何処に違いがあるかと言うことになるが、この問題を探ることが人形を芸術性のあるものにするか、玩具的なものにするか、彫刻や工芸の置物にするかの岐路となっているようである。 

  此処に至って大別すると二つの問題が考えられるのである。 一つは何是に彫刻は色彩を必要とせず人形には必要なのか、もう一つは造形上の根本論理は同じであっても、彫刻と芸術人形との制作目標なり、表現方法の違いは何処にあるのか。 この二つの問題をもっと具体的に説き明かさなければならないのである。
 
  先ず色彩の問題であるが、彫刻は色彩を無視しているようであるが実際は無視する処か大切な要素なのである。 矛盾したようであるが、それは二次的な作業として施す色彩ではなく素材そのものの持つ色調が彫刻の色彩となっているのである。 素材の持つ色調は、素材の質感の象徴であり、質感の象徴は内面への力、即ち量感に強く関係しているのである。  それ故に彫刻は二次的な色彩を余り施さないのである。 それと表面上の処理の仕方も色調と似た意味を持っており、可塑性の材料を使って整えてゆく操作のモドレともモデリングとも言える味わいは最終的にはブロンズ像の色艶とともに色調の良し悪しの中に加えられて鑑賞されるものである。 木彫りにした処が色彩を施さずとも木肌そのものが色調となっており、鑿あとはモドレの意味になるのである。 木肌に色彩を施した作品もあるが木の持つ質感は毀さず生かしているのである。 たとえ色彩を全面に施した彫刻であっても(抽象作品に多く見る)色彩のあるなしに拘わらず彫刻とは構築性の方行に向かっており、人形はあくまで室内の装飾としての作品なのである。 では二十センチか、三十センチの小品彫刻も室内の装飾品でしかあり得ないのではないかと言うことになるが、確かに装飾品として用をなしているが彫刻であることは如何に小さくとも彫刻なのである。 それは構築性である彫刻の造型を念頭に置いて制作しているからである。 もし全く彫刻としての概念を抜きにして、ただ置物として制作したとするならば工芸の置物と言わなければならないであろう。 となると、工芸の置物は彫刻より下位に位置づけられるものかと誤解されるようであるが、工芸の置物は置物としての格調の難しさがあり、どちらが上位とか下位とかの差はないのである。 これは芸術人形も同じであって、その甚深微妙さはどちらも人の知と技によって創作される芸術を目標にしているからである。

  初めにもどって今度は何是に芸術人形に色彩が必要かの問題になるのである。 第一は芸術人形と言おうと、美術工芸人形と言おうと、人形と言う名称のつく以上は人形と言う綺麗さ、即ち色彩の美しさを抜きにして人形としての存在は有り得ないからである。 第二は逆説になるが、二次的な色彩を施すことによって彫刻や工芸置物でないことの証でもあるし、綺麗さを第一義とする室内装飾作品としての意に叶うからである。 しかし綺麗さにはあくまで格調の高さがなければならない。 日本画の名画に見る素晴らしさを人形という形の中に注ぎ込んだものともみれるであろう。 故に色彩は絵画の部に入るものである。

  次に造型上の問題であるが、彫刻も芸術人形も造型の根本原理は同じでありながら何処に違いがあるのか。 先にも述べたように彫刻は構築性の方行に向かっているものであり、外向的であるのに反して芸術人形は内向的とも言えるものであり、人形に籠める作者の主観的な自己存在性と創造性の訴えなのである。 そうした面では芸術とは作者の感情表現なのであるが、芸術人形とは作者の感情を通して人形自体が醸し出す感情の表現だともいえるであろう。 然もそれは表面に局短に出すものではなく、奥深い処からじんわりと尽きることなく匂い出てくる美妙なる芳香でなければならない。 そのためには顔の作りが最重視されるのである。
 顔の表情が全体の形を作り出すか、全体の形が顔の表情を作り出してくるか、例えば顔を匿した形であっても、全体の形が顔の表情を暗示させられる姿、形でなければならない。 何れであろうと顔の作りが中心となって全体の形が出来上がってくるのである。 その点、彫刻とは無限の空間の中に力の固まりとなって羽ばたこうとするものであり、外向と内向との大きな違いがあると言えよう。

  改めて芸術人形とは何か、と言いきることは出来ないのであるが、立体造形の芸術論理と絵画芸術(日本画風になることが多いであろう)を併せ持ったものであり、より多くの深い人間感情を秘めたものでなければならず、それは言葉のない形の詩なのである。 故に芸術人形を制作しようとする者は立体造形と絵画との、どちらも芸術としての技能と論理を学ばなければならないのである。

  何れあれ最初に述べたように人形を芸術として表現するためには難問が多く匿されており、考え方によっては解き明かせない問題が山積みしているだけにやり甲斐のある仕事なのかもしれないのである。 鑑賞する人も、ただ単に人形と言う玩具的な飾り物と、芸術性のある人形との意味合をよくよく鑑賞してもらいたいものである。 
                                          
                                     昭和五十九年十月   「芸術人形指向」 小林止良於著より抜粋

                                                


 この冊子は当時芸術作品として人形を扱おうとしない道内の美術関係者に業を煮やして、師が配布しました。 そのため芸術人形の認識に重きを置き、色彩のない素象人形に関しての言及はありません。 が、師から教えていただいた人形論が余すところなく書かれています。  長文お付き合いありがとうございました。
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by blog_maya | 2011-02-02 07:23 | 素象人形 | Trackback | Comments(0)
2011年 01月 26日

芸術人形指向 <中>

芸術人形の内容

 玩具人形なり手芸人形と、芸術人形との区別は何処で決めるのかとなると、これは残念ながらはっきりと一線を画することが出来ないのである。  観るものと作る人の物指しを俟つより他にないのであろう。  美術工芸作品と称しても玩具的な飾り物にすぎないものもあるであろうし、たとえ手芸品の展示場に並んでいても内容は優れたもので美術工芸品として受け取れるものもあるであろう。 作る人も観る人も、人形としての芸術作品とは何かの原点に戻って考えなければならないことになる。  だがこれは美術評論家か、実際に制作に当たっている作家の問題であって、一般的には論理ではなくて感覚で捉えるよりほかにないのである。
  
 二回目の素象人形展と名付けた私の個展の会場で来客と親しく話をしている折りに、こんなことを口にしたのを覚えている。 「頭で覚えたことと、心で覚えたことと、体でおぼえたことを、私という感情の風呂敷にほうり出したものが作品なのです。」と、話のやり取りの中でふと思いついた儘を軽い気持ちで言葉にしたのであるが、後になって改めて考え直してみると簡単に片付けられることではないようである。  頭とは智識であり、詰め込んだものとも言えるであろう。 心とは智慧であって詰め込むものではなく、自分の人生経験や本で読んだり教えられてきた諸々の智識を自分なりの人間性の中で咀嚼して放出するものなのであろう。  体とは体験であり、行動であって、技術の習得である。  そして風呂敷とはその人その人の持つ感性であり個性であって、人格的な価値とも言えるのである。 換言すれば、真と美と壮と善になるのかもしれない。  真とは道理であって偽りのない真実であり、美とは真実の中より生ずる知覚であり感覚や感情に訴える内的快感なのであろう。  壮とは健全なる心身を持って制作活動に充実出来ることである。 善とは倫理上の善であると同時に個人を含む人格とも言えるのである。  思うにまかせて喋ったことを勝手に解釈してみたのであるが、ここで言う美とは心であり、精神であって、直接造形上の美ではないようにも取れるのであるが、この美と言う文字は美術の美であり、美しいと言う華美にも通じており、造形上の美であることも論を候ないのである。 美という言葉は精神と容姿、即ち心と形の二重構造になっているのである。  それに日本人的な感情をさらに加えると、わびとかさびとか幽玄、それにももののあはれと言った無常観にも通じる仏教的な縁起の思想にまで無意識の内に美と言う感覚となって捉えているのでなかろうか。

  芸術性を表現する美を人形に求めようとするならば、どうしてもこの日本人の心の奥深くに隠されてる血の流れとも言うべき日本人的な審美の知的、情的な感受性を無視することは出来ないようである。  このように言うと芸術人形とは日本風俗を模した日本人の姿、形でなければならないと言う誤解を受けるおそれがあるが、衣服や装い、それに何時の時代であろうと、何処の国の風俗や人物であろうとそんなことは問題ではなく、形の中に内蔵されている情操のことであり量感なのである。  この場合の量感とは重量的ではなく、人形に籠められた人間感情の重厚さなのである。 それは音のない音律でもあり、言葉のない詩とも言えるであろう。  いま此処で欧米の人形を取り上げてみると、西洋人形と言われる伝統のある高級人形は綺麗さと、材料の高価さと技術の巧みさだけに価値づけられているものであって、あくまで高価な飾り物の玩具人形なのである。

 美を心と形の二重構造として直感的に捉える術を知っている吾々は美術工芸の範疇の中で取り分け人形は人の姿を模すことだけに価値づけられる作業であるから、その形態の中には、より一層に精神的な美を要求されるのである。 芸術人形を作ろうとすることは人形を創作っているのではなく、人情を創作っているのである。  
 
   
 

                                       昭和59年発行 「芸術人形指向」 小林止良於著より抜粋
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by blog_maya | 2011-01-26 08:17 | 素象人形 | Trackback | Comments(0)
2011年 01月 22日

芸術人形指向 <上>

年末の片付けの際、久しぶりに恩師 小林止良於氏が芸術人形の概念を纏めた冊子に再会しました。  この機会に一部抜粋し、何回かに分けて紹介させていただこうと思います。

                                 
                                       
人形の呼称

 人形を美術工芸の中に加え、芸術性のあるものとして捉えようとすると、どのような考え方を持って制作し、また鑑賞しなければならないのであろうか。  その前に人形と芸術という言葉とは結びつけるのは無理がある。 人形と言う言葉の持つ印象は、人形を「お人形さん」とさん付けして呼ばれるように、抱きかかえて愛玩する可愛らしさや綺麗さのある人形を指すか、お雛様のように飾って姿、形、色彩による綺麗さを求めて楽しむものであり、どちらも玩具としての人形になってしまうからである。

 人形を作品として認め、美術工芸の中に参加しようと活動したのは昭和の初めであり、実際には昭和十年の第一回帝展の工芸部門に初めて参加できたのである。 それだけに人形を美術工芸として捉えようとするには歴史的にも日が浅く、人形と言う呼称からだけでは一般的にどうしても玩具としての印象に傾かざるをえないのである。  昭和の人形作家達は芸術性のある作品制作のために、一般商品としての人形とは別に、創作人形としての芸術の創造性と主観性を唱え、如何に制作したならば芸術価値のある作品になるかと模索し、人形も立派な芸術価値のあることを認めさせようと努力を続け、現在に至ったのである。 当時は創作人形の創作という言葉が芸術人形に相応しい新鮮な言葉として受け取られていたのであるが、最近では女性的な仕事である手芸が手作りで新たな姿態のものを考案し、創作人形と称しているため、芸術表現の持つ意味としては稀薄なものとなっているようである。  だからといって手芸が創作という言葉を使ってはいけないという理由はどこにも無く、玩具人形だろうと、手芸人形であろうと創作は創作なのである。  けれど手芸とは文字通り手先の遊びの芸であって、楽しむ遊びの作業と考えなければならない。  新しい手芸人形を工夫するのに大変な時間と努力を要したとしても、考案された技法はその技法と手順を普及して大衆の生活の中に楽しみと潤いを与えるためのものなのであろう。  芸術の中に求める美とは、美学と言う学術的な基礎内容を要するものであり、美学的な智覚の論理を正当化しようとする終わりなき表現の積み重ねなのである。  となると芸術性を目標にする人形を何と称したらいいのであろうか。 一応は美術工芸人形か直接に芸術人形と言うよりほかにないようである。
  
 人形という名称より受ける印象に就いて思考してきたのであるが、名称より観賞者に与える意義は大きいものであり、感情なり、感覚への影響は無視出来ないはずである。  作者の立場にあっても、芸術性を追い掛ける程に人形という呼称に就いては解けきれない宿題のようなものとなっているのではないかと思われるのである。   

                                          昭和59年発行 「芸術人形指向」 小林止良於著  一部要約

<補足>
1995年(昭和30年)より現在までに重要無形文化財保持者(人間国宝)として衣裳、紙塑、桐塑の人形作家7人が認定されています。  
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by blog_maya | 2011-01-22 14:57 | 素象人形 | Trackback | Comments(0)
2010年 09月 21日

泥の会展終了

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昨日素象人形 泥の会展が無事終了し、搬出を終えました。
お忙しい中足を運んでくださった方々、館内の他のギャラリー目当てでいらして立ち寄り、
興味深く見て下さった方など本当にありがとうございました。
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時に「これは彫刻ですか?」とか「彫ってるんですか?」などの質問にお答えしながら、分かって下さる方がいる手ごたえを
感じ嬉しかったでした。  スランプもあり制作が滞りがちですが素象人形は続けたい、そう思っています。
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by Blog_Maya | 2010-09-21 07:57 | Trackback | Comments(2)
2010年 09月 13日

素象人形  泥(ひじりこ)の会展 始まります

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今日が搬入日、無事納めてまいりました。
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故小林止良於氏の弟子五人の素象人形  泥の会展です。
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今年は全部で15点の出品になりました。   私は18(土)、19(日)会場におります。 
お近くにお越しの際はお立ち寄りくださいませ。

※なお最近携帯やデジカメ等で許可なく撮影する見学者が見受けられるようになりました。  
著作権に触れる場合がございますので、ご遠慮願います。




素象人形  泥(ひじりこ)の会展

2010年9月14日(火)~20日(月) 10:00AM~5:00PM(最終日は4:00PM終了)
札幌市資料館  二階 ギャラリー3号室
札幌市中央区大通13丁目
TEL    (011) 251-0731
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by Blog_Maya | 2010-09-13 20:13 | 素象人形 | Trackback | Comments(8)
2010年 06月 29日

撮影の難しさ   光

                                 「夏の日差し」
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テラコッタ土 素焼き焼成です。小さい頃外遊びをしていていた娘の一瞬の仕草を切り取りました。
今は大きくなって生意気盛りの彼女もこんなに可愛い頃があったのだと懐かしく思い出されます。
それにしても素象人形を撮るのは骨が折れます。 フラッシュを焚くと反射して白トビしてしまうし、
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角度によっても印象が違うのは勿論、
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フラッシュを焚かないで撮ると色が違い、
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露出をいじっているとピンボケになってることに後が気が付いたり・・・。 それにお花の写真や小樽の街撮りも楽しくっていけません。 けれど、写真を通して視野が広がった気がするし、絶対創作にプラスになっていると思うのです。 子供も手が掛からなくなってきた今、時間を有効に使っていろんな事を貪欲に吸収していこうと思っているのでした。 
 

 
   
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by Blog_Maya | 2010-06-29 16:02 | 素象人形 | Trackback | Comments(2)