ブログ HITOGATA   in Otaru       by摩耶

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2015年 03月 15日

憧れます

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普段私はこの手の写真集を買うことはないのですが、これは一目見て購入を決めました。
20代の2人の男女がブログ「リデアル」で紹介していた銀座や表参道で出会った60歳以上の方のファッションスナップをまとめたものだそうです。「リデアル」とは「憧れ」という意味。大人の女性の年齢を重ねたからこそできる組み合わせだったり、時に和服の着こなしも。流行や年齢にとらわれず、60歳を過ぎてもこんなおしゃれができるなんてと、どのページを見ても思いました。登場する女性たちへのインタビューからファッションポリシーや人生哲学も垣間見えて、時々引っ張り出してはパワーを貰えると思います。こんな素敵な年の取り方をしたいと思いました。












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by Blog_Maya | 2015-03-15 23:52 | diary
2015年 03月 06日

春近し

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                     1週間前の富岡教会




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by Blog_Maya | 2015-03-06 20:37 | diary
2014年 10月 10日

好きなCM




最近放送されているCMで我が意を得たりというものがあります。JAバンク「アクティブシニア応援編」なのですが、一つは定年を無事迎え、後輩に見送られて花束を手に会社を後にする男性が「よし、楽しい時間のはじまりだ。」と趣味に全力を注いでこれから生きるぞという姿が小気味いいのであります。最近のお年寄りは元気です。「60代で定年退職したとしても平均寿命の80まで長い。今から老け込むのは早すぎる。人生はこれから。」という事なのでしょうね。「老後は孫が生き甲斐。」というのも悪くないけれど、孫だって大きくなったら手元にいてくれませんもの。

そしてもう一つ、息子を送り出したお母さんがとってもカッコいいのです。

駅での母と息子の別れのシーン。旅立つ息子に「向こうに着いたら、連絡するんだよ」と心配そうに呼びかける母。電車が走ると後を追って小走りしたものの去った次の瞬間!「よし、楽しい時間のはじまりだ。」とメッセージが流れ、笑顔に変わった母親は髪を振りほどきエプロンを脱ぎ捨て、元気よく歩き出すのです。 「子育ては終わった。これからは自分の時間を生きるの。」そんな子育てを終えた母親の気持ちが良く伝わります。子育てを終える前から自分の好きな事をやっている私ですが、周りのお母さんが子育てを終えて空の巣症候群になっているのを見て勿体ないと思っていました。「あなたはやることを見付けられたからいいわよ。と言われますが、ないなら見付けるまで探してみるといいのにと思います。主婦だって自分の人生歩んでいいじゃないのかと思うのですが。友人のように息子のアパートに押しかけて掃除やら世話をして来るなんて一度もしたいと思わない私です。


このような人生に前向きなシニアが増えれば、お年寄の見方も変わってくるのではと思うのでした。まあ手抜き主婦の私は「子育て終わったら、きちんと家事をしろよ。」と誰かから言われないように気をつけないと。




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by Blog_Maya | 2014-10-10 09:40 | 子育て
2014年 09月 13日

通りすがりのご縁

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青空の日に外出した時この富岡教会の前を通った時は撮りに寄る事が多いのですが、今日は手前の木陰でスケッチされているご婦人にお会いしました。「本当は札幌から仲間と一緒にスケッチに来る予定だったのですが、連絡ミスで集合場所の駅に誰も来なかったので意地になって一人で来ました。」とおっしゃいます。「宜しければ教会の中をご案内しましょうか。」と自然に言葉が出ました。


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富岡教会は昭和4年建設の歴史的建造物。正面中央の赤い八角尖塔とその上の十字架が目に付くゴシック様式の教会で構造は鉄筋コンクリートと木造です。正面外壁と玄関は重厚な外観、側面の一階部分が煉瓦貼りで二階部分は軟石積み。内部は一階は天井が低い集会室、二階は礼拝堂で天井が高く、白漆喰の壁に鮮やかな色ガラスを組み合わせたアーチ窓が特徴です。拙い説明ですが、微に入りじっくり見てくださり、最後に「今日は最悪だと思ってここに来たのですが、いいこともありました。」とお礼を言ってくださいました。私も思いがけず温かい気持ちで家路に着くことが出来た日でした。














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by Blog_Maya | 2014-09-13 20:47 | 小樽
2014年 09月 08日

空はもう秋

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久しぶりに天狗山に行きました。小樽市の中心部より南西に位置し標高532.4メートル。展望台からの眺めは小樽港や石狩湾、晴れた日は積丹半島、暑寒別連峰(増毛連山)を望むことが出来、小学生の登山遠足の定番、冬はスキー場として市民に親しまれています。天狗山の名前の由来は諸説ありますが、山中に天狗火(火や煙)が見えて天狗が棲んでいると言われたというのが有力らしいです。いわゆる天狗伝説なのでしょうね。



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ここからの雄大なパノラマ夜景は函館山、藻岩山と並ぶ北海道三大夜景に数えられていて確かに見事な景色なのですが、昼間の景色も市街地が箱庭のように見えて私は好きです。昨日は清々しい青空、でもすっかり秋空になっていることに気がつきました。




天狗山に小動物
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by Blog_Maya | 2014-09-08 17:46 | diary
2014年 08月 12日

取材の中で

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 今回は小さな展なのですが、取材に来てくださり初日から昨日まで4人の記者さんにお会いしました。「今回のテーマは何ですか?」とか「どれくらいのキャリアなのですか?」とかいろいろ聞かれます。その中で「陶板画の発想やモチーフはどのようにして生まれるのですか?」というものがありました。日頃気にしたことがなかったのですが、どうなんだろう?よく考えてみると、ふと頭に浮かんできたものをメモしたり、散歩している野良猫の後をついて行ったり、バスに乗っていて前の座席の人の洋服が気に入り、降りてからデッサンしたりと他愛のない事が多いのです。こんな答え、記者さんにとって期待はずれじゃないかなと思っていたら、「日常生活の中からアイディアが生れてくるのですね。」と受けとめて下さいました。そうなんだ、私の創作は主婦として日々過ごしている中から生まれてくるものなのだと分かりましたした。そしてそれは素象人形を作る際も変わりません。

 別段特別なことでなくていいのだと思いました。作品が出来るとき、その時に大事なのは何が出来たかではなく、どのように作ったかが重要だと思うのです。本を読んだり資料を取り寄せたりすることもあります。それは当然のことですが、一番なのは主婦として生活の基盤があっての創作、それ抜きにこれらの作品はうまれませんでした。つまり、作品の向こうには作り手の生き方があり、それがあってこそ次はもっといいものをと目指すものなのです。と、気がついた途端、家の事が気がかりになりました。展の準備で手抜き家事だったのです。そこをおろそかにしたら駄目じゃん。(汗)


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by Blog_Maya | 2014-08-12 21:15 | その他の創作
2014年 07月 28日

マッサンとリタの歩み

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 一週間前の連休に余市のニッカウヰスキー博物館を訪れました。今秋のNHK朝のドラマの舞台になります。
放送されたら、きっと大勢の見学者が来てくれるでしょう。


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それを見越してか、リタの館は修復工事中で閉館、その他の施設も修繕しているのが目につきました。


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 竹鶴政孝、この物語の主人公です。1894年広島県出身、ニッカウヰスキーの創業者で「日本のウイスキーの父」と呼ばれています。製塩業の他、酒造業も営んでいた竹鶴家の三男だった政孝は、大阪高等工業学校(現在の大阪大学)の醸造学科に進学します。その後、洋酒に興味をもっていた竹鶴は当時洋酒業界に強かった大阪の摂津酒造(摂津酒精醸造所) に入社しました。ある夏、アルコール殺菌が徹底して行われていなかっぶどう酒の瓶が店先で破裂する事故が多発しました。しかし竹鶴が製造した赤玉ポートワインは徹底して殺菌されていたため酵母が発生増殖することがなく、割れるものが一つもなかったため、竹鶴の酒造職人としての評判が高まったのです。


 純国産のウイスキー造りを始めることを計画した摂津酒造は1918年竹鶴をスコットランドに派遣、政孝はグラスゴー大学で有機化学と応用化学を学びました。彼は現地で積極的にウイスキー醸造場を見学し、頼み込んで実習を行わせてもらうことも。ウイスキー用の蒸留釜(ポットスチル)の内部構造を調べるため、専門の職人でさえ嫌がる釜の掃除を買って出たという逸話もあります。

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 スコットランドに滞在中、竹鶴は大学で知り合った女子学生に頼まれて末弟に柔道を教えていましたが、その姉であるジェーシー・ロバート・カウン(通称リタ)と親交を深めます。年も暮れに近づき、カウン家は竹鶴をクリスマス家に招きました。クリスマスのクライマックスはイギリスでポピュラーなプディング占いといって、取り分けられたプリンの中に6ペンス銀貨が入っていたら大金持ちに、指輪を当てた女の子はお嫁さんになれるというものです。ところがなんと竹鶴に銀貨、リタに指輪が当たりました。その後まもなく竹鶴はリタに「あなたさえよければ、私はスコットランドに残って働いてもいい。」とプロポーズをしました。しかしリタはきっぱりと、「いえ、私たちはスコットランドに留まるべきではありません。あなたの夢は日本でウイスキーを作ること、私もその夢とともに生き、お手伝いをしたいと思います。」 と見知らぬ国、日本について行く決意を固めていたのです。しかしまだ国際結婚に抵抗が強かった大正時代、竹鶴家は勿論、リタの家族も大反対でした。1920年1月8日二人は教会での挙式を諦め、登記所で2名の証人と登記官の前で宣誓するだけの寂しい結婚式をします。同年11月、リタを連れて竹鶴は日本に帰国しました。 

 異国日本で最初にリタがしたことは日本の生活に馴染むことでした。リタは日本語は勿論、日本料理を学び、漬け物まで漬けていたと聞きます。その結果、リタは日本の女性以上に日本人らしい女性となりました。しかし太平洋戦争に突入した時、故郷が敵国となり、リタはスパイ容疑を掛けられ、警察に尾行されたり、石を投げつける者もいたといいます。「私は日本人なのに、どうして尾行されるの。この眼と髪を黒くして鼻を低くしたい。」、リタは竹鶴を献身的に支えながらも嘆きました。

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 帰国後、摂津酒造は不運なことに第一次世界大戦後の戦後恐慌によって資金調達が出来ず、純国産ウイスキーの製造計画は頓挫。その後1922年竹鶴は摂津酒造を退社しました。翌年の1923年大阪の洋酒製造販売業者寿屋(現在のサントリー)が本格ウイスキーの国内製造を企画し社長の鳥井信治郎は竹鶴を年俸四千円という破格の給料で採用。この年俸は、スコットランドから呼び寄せる技師に払うつもりだった額と同じと言われています。竹鶴は製造工場をスコットランドに似た風土の北海道に作るべきだと考えていましたが、鳥井は消費地から遠く輸送コストがかかることと、客に直接工場見学させたいという理由で難色を示し、仕方なく竹鶴は大阪周辺の候補地の中で良質の水が使え、スコットランドの著名なウイスキーの産地ローゼスの風土に近く、霧が多いという条件から山崎工場および製造設備を整えました。けれど竹鶴は諦めた訳ではありませんでした。理想の地、北海道余市でウイスキー製造を開始するため、竹鶴は山崎で後継者を育て、最初の約束である10年が経過した時、竹鶴は寿屋を退社。資本を集め、余市に大日本果汁株式会社を設立します。実は彼は起業する際、「寿屋と鳥居には恩があるので、余市でウイスキー製造をする気はない、大日本果汁はその名の通り、リンゴジュースを製造販売する会社だ。」と説明して出資を募りました。そして1935年5月、日果林檎ジュースの出荷を開始。しかし他社が6銭の果汁入り清涼飲料を作っていたのに対して30銭もする果汁100%ジュースしか販売しなかったため、あまり売れませんでした。混ぜ物をしていないため製品が濁ることがあり、誤解した消費者や小売店からの返品も相次いだのです。莫大な返品と積み上がった在庫をどうするのかという話になったところで、竹鶴はようやくそれらを使って蒸留酒を造る、そのついでに少量のウイスキーも仕込む、という話を持ち出してきたといいます。彼は策士でした。実際、大日本果汁は創業後しばらくは酒造免許を取得していませんでした。そして遂に1940年余市で製造した最初のウイスキーを発売。社名の「日」「果」をとり、『ニッカウヰスキー』と命名しました。

 リタは長い間の心労と厳しい冬の寒さが堪え、60才を過ぎてから入退院を繰り返すようになり、64才で竹鶴に看取られて亡くなりました。晩年リタは「年老いていくのは寂しいこと。でも私は人生を自分の意志で切り開いたことを憶えておこうと思う。」と記しています。彼女の人生は竹鶴一人を頼りに母国を捨てる心境で日本に渡り、日本の文化や食習慣などに溶け込もうと努力をし、竹鶴を献身的に支えることで大きな夢を叶えました。リタは竹鶴のことを最初はマサタカサンと呼んでいましたが、呼びづらいので縮めてマッサンと呼ぶようになったそうです。マッサンとリタは今もウイスキーの理想の地として選んだ余市の街、そして愛する工場を見下ろせる美園町のお墓で眠っています。秋からのNHKのドラマでどのようにこの物語が描かれるのか、とても楽しみです。

 
 






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by Blog_Maya | 2014-07-28 13:54 | 市外
2014年 07月 18日

主婦失格

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 昨日の朝は夫の弁当を作るのを忘れてしまった。いつもは娘と二人分作るのだけれど、昨日は娘が腹痛で学校を休んだため娘の分は作る必要がなかったのだ。そうなると朝6時までに作る必要がないので洗濯やその他の家事を優先して後回しにした結果・・・、「ごめんなさい」。出勤時夫にそう謝りました。気持ちが窯入れの方にいっていました。こういう事は個展や展示会の近くになると珍しいことではありません。けれど今年窯を買ってから、いっそう酷くなったように思います。夕飯の支度を終えて、さあ盛りつけをと思ったら炊飯器のスイッチを忘れていたとか、「今日は飲み会だから夕食は要らない。」と聞いていたのにしっかり用意して待ってるとか家族は私のそそっかしさに慣れてしまってるのでした。
これではいけないと思うのですが、わざとミスしている訳ではないのでどうしようもありません。けれどいつも怒らないで許してくれる家族のために展示会が終わったら、お詫びの気持ちをこめて好物を作ろうっと。





 


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by Blog_Maya | 2014-07-18 07:48 | diary
2014年 07月 05日

もてなしの気持ち

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 昨日は夫の仕事関係の来客を市内案内していました。こういうことはよくあります。今回はニュージーランドからのお客さんと聞いていたのですが、イギリス人でした。本場の英語で発音は聞きやすいので案内が楽・・・のはずが、どうしたのでしょう?!私の頭から英語が全然出てこないんです。「どうしたの?珍しいね。」と夫。実は昨日は札幌で仕事があり、それを済ませてから小樽にトンボ帰りしたのですが、私は思いの外疲れていたようです。頭が全然働かない・・。普段の英語力の半分以下でした。ということは、ないに等しいということ。それでも身振り手振りを交え歴史的建造物の解説をし、回転寿司に入って箸を持っての寿司の醤油をつけすぎない食べ方を実演をして見せ、皿の種類で価格が違うなどの合理的なシステムを説明しました。 もっと伝えたいことがたくさんあるのに半分も言えてない・・・、私は本当に歯がゆかったです。

 ところが別れ際、「英語が下手で充分な案内が出来なくて申し訳ありませんでした。」と言った私に、「いいえ、小樽は素敵なところですね。小樽を愛するあなたの気持ちがよく分かりました。今度は家族で来たいと思います。」とおっしゃるではありませんか。仕事上の付き合いもあるので社交辞令もあるとは思いますが、「もう一度来たい、それも家族と一緒に」とは私にとって最高の褒め言葉です。 15年近く案内していますが、この言葉を下さった方の八割は実際にまた来てくださっています。私は老若男女、国籍問わず、「小樽の良さを分かっていただきたい。」「小樽で楽しんでもらいたい。」と思いながら案内していましたが、言葉を越えてそのホスピタリティーが伝わったのだと、大げさかもしれませんが胸が熱くなりました。

 もし本当にご家族でいらしてくださったら・・・、勿論また御案内したいと思います。  それまでに英語勉強しなきゃ。でもやはり「英語は度胸」ですね。



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by Blog_Maya | 2014-07-05 23:07 | diary
2014年 07月 02日

お散歩

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雨続きだった約2週間は車ばかり乗っていたと反省、免許を取るまでは雨の日も風の日も歩いていたのに・・・。
咲き始めた紫陽花。

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気がつけばツツジも輝かんばかりに咲いている。

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歩くのは気持ちがいいのだけれど、馬鹿なことに裸足にサンダルだったので擦りむけを作ってしまいました。
次回からはスニーカー履かないと駄目ですね。








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by Blog_Maya | 2014-07-02 16:47 | diary