ブログ HITOGATA   in Otaru       by摩耶

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2014年 07月 30日

うっかり連発

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 今日は会場となるレストランの展示スペースの確認に向かったところ、定休日で休み。そうでした!!作成中のDM原稿にも自分で水曜日定休と記しているのに忘れていました。

 それともう一つ。自宅で焼成する強み、今回から会期直前まで焼成出来るのですが、誤って予定していた釉薬と違う色を掛けてしまったことが分かり、慌ててブラシで落とし水で洗いました。それもこんな時に限って一番高い釉薬!!勿体ないので空き瓶に入れて再利用します。不純物が混じっていると思うのでテスト焼成に用いますが、ドタバタしているとロクな事ございません。落ち着いてやればいいってわかっているのですが・・・、この性格治りません。

 そういえば今朝起きたら、昨晩炊飯器にお米仕掛けるの忘れていて、夫にお弁当作ってあげられなかったのでした。 怒りもせず、優しく微笑んで出勤した夫に後光が差して見えました~。




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by Blog_Maya | 2014-07-30 22:26 | その他の創作
2014年 07月 28日

マッサンとリタの歩み

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 一週間前の連休に余市のニッカウヰスキー博物館を訪れました。今秋のNHK朝のドラマの舞台になります。
放送されたら、きっと大勢の見学者が来てくれるでしょう。


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それを見越してか、リタの館は修復工事中で閉館、その他の施設も修繕しているのが目につきました。


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 竹鶴政孝、この物語の主人公です。1894年広島県出身、ニッカウヰスキーの創業者で「日本のウイスキーの父」と呼ばれています。製塩業の他、酒造業も営んでいた竹鶴家の三男だった政孝は、大阪高等工業学校(現在の大阪大学)の醸造学科に進学します。その後、洋酒に興味をもっていた竹鶴は当時洋酒業界に強かった大阪の摂津酒造(摂津酒精醸造所) に入社しました。ある夏、アルコール殺菌が徹底して行われていなかっぶどう酒の瓶が店先で破裂する事故が多発しました。しかし竹鶴が製造した赤玉ポートワインは徹底して殺菌されていたため酵母が発生増殖することがなく、割れるものが一つもなかったため、竹鶴の酒造職人としての評判が高まったのです。


 純国産のウイスキー造りを始めることを計画した摂津酒造は1918年竹鶴をスコットランドに派遣、政孝はグラスゴー大学で有機化学と応用化学を学びました。彼は現地で積極的にウイスキー醸造場を見学し、頼み込んで実習を行わせてもらうことも。ウイスキー用の蒸留釜(ポットスチル)の内部構造を調べるため、専門の職人でさえ嫌がる釜の掃除を買って出たという逸話もあります。

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 スコットランドに滞在中、竹鶴は大学で知り合った女子学生に頼まれて末弟に柔道を教えていましたが、その姉であるジェーシー・ロバート・カウン(通称リタ)と親交を深めます。年も暮れに近づき、カウン家は竹鶴をクリスマス家に招きました。クリスマスのクライマックスはイギリスでポピュラーなプディング占いといって、取り分けられたプリンの中に6ペンス銀貨が入っていたら大金持ちに、指輪を当てた女の子はお嫁さんになれるというものです。ところがなんと竹鶴に銀貨、リタに指輪が当たりました。その後まもなく竹鶴はリタに「あなたさえよければ、私はスコットランドに残って働いてもいい。」とプロポーズをしました。しかしリタはきっぱりと、「いえ、私たちはスコットランドに留まるべきではありません。あなたの夢は日本でウイスキーを作ること、私もその夢とともに生き、お手伝いをしたいと思います。」 と見知らぬ国、日本について行く決意を固めていたのです。しかしまだ国際結婚に抵抗が強かった大正時代、竹鶴家は勿論、リタの家族も大反対でした。1920年1月8日二人は教会での挙式を諦め、登記所で2名の証人と登記官の前で宣誓するだけの寂しい結婚式をします。同年11月、リタを連れて竹鶴は日本に帰国しました。 

 異国日本で最初にリタがしたことは日本の生活に馴染むことでした。リタは日本語は勿論、日本料理を学び、漬け物まで漬けていたと聞きます。その結果、リタは日本の女性以上に日本人らしい女性となりました。しかし太平洋戦争に突入した時、故郷が敵国となり、リタはスパイ容疑を掛けられ、警察に尾行されたり、石を投げつける者もいたといいます。「私は日本人なのに、どうして尾行されるの。この眼と髪を黒くして鼻を低くしたい。」、リタは竹鶴を献身的に支えながらも嘆きました。

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 帰国後、摂津酒造は不運なことに第一次世界大戦後の戦後恐慌によって資金調達が出来ず、純国産ウイスキーの製造計画は頓挫。その後1922年竹鶴は摂津酒造を退社しました。翌年の1923年大阪の洋酒製造販売業者寿屋(現在のサントリー)が本格ウイスキーの国内製造を企画し社長の鳥井信治郎は竹鶴を年俸四千円という破格の給料で採用。この年俸は、スコットランドから呼び寄せる技師に払うつもりだった額と同じと言われています。竹鶴は製造工場をスコットランドに似た風土の北海道に作るべきだと考えていましたが、鳥井は消費地から遠く輸送コストがかかることと、客に直接工場見学させたいという理由で難色を示し、仕方なく竹鶴は大阪周辺の候補地の中で良質の水が使え、スコットランドの著名なウイスキーの産地ローゼスの風土に近く、霧が多いという条件から山崎工場および製造設備を整えました。けれど竹鶴は諦めた訳ではありませんでした。理想の地、北海道余市でウイスキー製造を開始するため、竹鶴は山崎で後継者を育て、最初の約束である10年が経過した時、竹鶴は寿屋を退社。資本を集め、余市に大日本果汁株式会社を設立します。実は彼は起業する際、「寿屋と鳥居には恩があるので、余市でウイスキー製造をする気はない、大日本果汁はその名の通り、リンゴジュースを製造販売する会社だ。」と説明して出資を募りました。そして1935年5月、日果林檎ジュースの出荷を開始。しかし他社が6銭の果汁入り清涼飲料を作っていたのに対して30銭もする果汁100%ジュースしか販売しなかったため、あまり売れませんでした。混ぜ物をしていないため製品が濁ることがあり、誤解した消費者や小売店からの返品も相次いだのです。莫大な返品と積み上がった在庫をどうするのかという話になったところで、竹鶴はようやくそれらを使って蒸留酒を造る、そのついでに少量のウイスキーも仕込む、という話を持ち出してきたといいます。彼は策士でした。実際、大日本果汁は創業後しばらくは酒造免許を取得していませんでした。そして遂に1940年余市で製造した最初のウイスキーを発売。社名の「日」「果」をとり、『ニッカウヰスキー』と命名しました。

 リタは長い間の心労と厳しい冬の寒さが堪え、60才を過ぎてから入退院を繰り返すようになり、64才で竹鶴に看取られて亡くなりました。晩年リタは「年老いていくのは寂しいこと。でも私は人生を自分の意志で切り開いたことを憶えておこうと思う。」と記しています。彼女の人生は竹鶴一人を頼りに母国を捨てる心境で日本に渡り、日本の文化や食習慣などに溶け込もうと努力をし、竹鶴を献身的に支えることで大きな夢を叶えました。リタは竹鶴のことを最初はマサタカサンと呼んでいましたが、呼びづらいので縮めてマッサンと呼ぶようになったそうです。マッサンとリタは今もウイスキーの理想の地として選んだ余市の街、そして愛する工場を見下ろせる美園町のお墓で眠っています。秋からのNHKのドラマでどのようにこの物語が描かれるのか、とても楽しみです。

 
 






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by Blog_Maya | 2014-07-28 13:54 | 市外
2014年 07月 23日

陶展 LE SOURIRE 案内状が出来ました

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 八月に予定している展示会のDMが出来上がりました。センス的にはイマイチですが、今回は印刷に出さず、娘にも頼らず、自力で作りました(笑)。自宅に窯を持って初めての展示なので、ドキドキしながら準備しています。写真にはないですが、陶板画も展示します。展示会場となっている「菜はな」は、1930(昭和5)年に建てられた日本家屋です。オーナーの手により落ち着いた素敵な空間となっていて、一度ここで展示させていただきたいと思っていました。素敵な古民家の雰囲気に調和した作品を並べたいと思っています。
 また食事も旭川産ななつぼしの玄米を専用の圧力釜で2時間かけて炊き上げた玄米を中心としたメニューのほか、白米やパスタ、デザートと充実したメニューがございますので、お勧めの店でもあります。期間に関係なく是非お越し下さい。

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 今気がついたことがあります。 菜はなさんの地図、入れるの忘れてました(汗)。 ハガキのどこに入れよう、裏かな? 小さく入れるにはどうしたらいいんだろう、やはり娘に頼るしかないかな~。



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by Blog_Maya | 2014-07-23 23:07 | その他の創作
2014年 07月 18日

主婦失格

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 昨日の朝は夫の弁当を作るのを忘れてしまった。いつもは娘と二人分作るのだけれど、昨日は娘が腹痛で学校を休んだため娘の分は作る必要がなかったのだ。そうなると朝6時までに作る必要がないので洗濯やその他の家事を優先して後回しにした結果・・・、「ごめんなさい」。出勤時夫にそう謝りました。気持ちが窯入れの方にいっていました。こういう事は個展や展示会の近くになると珍しいことではありません。けれど今年窯を買ってから、いっそう酷くなったように思います。夕飯の支度を終えて、さあ盛りつけをと思ったら炊飯器のスイッチを忘れていたとか、「今日は飲み会だから夕食は要らない。」と聞いていたのにしっかり用意して待ってるとか家族は私のそそっかしさに慣れてしまってるのでした。
これではいけないと思うのですが、わざとミスしている訳ではないのでどうしようもありません。けれどいつも怒らないで許してくれる家族のために展示会が終わったら、お詫びの気持ちをこめて好物を作ろうっと。





 


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by Blog_Maya | 2014-07-18 07:48 | diary
2014年 07月 13日

じっと我慢の子

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ただいま本焼き焼成後 クールダウン中です。マイコン制御のお陰で無事1230度の到達温度になり、ねらしを経て温度が順調に下がっていっているのですが、蓋を開けられるのは明日の朝になります。上手く焼けたのか、とても気がかりですが温度を急速に下げることは出来ません。窯を目の前にして「お預け」状態なのです。

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来月市内のレストランでミニ展示会を予定しています。そのための商品作りなのですが、まだ使いこなしているとは言えない窯のため、テスト焼成も兼ねているものもあります。それにしても私は今まで作って釉薬かけてはその都度焼いてもらっていましたので窯が一杯になるまで溜めるのが大変でした。というのも私の作品は霧吹きという器具で釉薬を吹くものが大半なのです。釉掛け後はしっかり乾かさないで焼くと窯が傷みますが、掛けてから数日間放置するとはげ落ちてしまうので短期間に掛け溜めなければいけないのです。酸欠になりそう・・・。割れていないか、色はちゃんと出ているか・・・、いろいろ心配ですが、この焼成が終わっても次の焼成が待っています。
肺活量増えるかな?















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by Blog_Maya | 2014-07-13 14:02 | その他の創作
2014年 07月 08日

神様が立つ場所    神威岬


エメラルドグリーンとコバルトブルーの絵の具を混ぜ込んで流したような独特な海の色、通称積丹ブルー、この色は見る人すべてを魅了する。

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「チャレンカの小道」と名付けられた、この遊歩道は2011年の大雨による土砂崩れ以来、通行止めでしたが昨年修復工事が完了しました。形状からまるで恐竜の首の上を歩いているような感覚にとらわれます。観光客が「まるで万里の長城だ。」と叫んでいました。この遊歩道は平成の年号になってから作られたと記憶しています。

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今までなかった案内が、「念仏トンネルの見える場所」。 この先に視線を向けると

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画像中央右よりに見える空洞が念仏トンネル。このあたりは上は断崖絶壁、下は波打ち際の険しい地形で容易に越えることが出来ない難所でした。1912年(大正元年)、岬灯台守の家族が買い出しに行き、荒波にさらわれ死亡するという事故が起きたのを機に、1914年(大正3年)にトンネル工事着工します。けれど両側から手掘りで掘り進むうちに食い違いが生じ、工事が中断しました。、そこで村人たちが念仏を唱えて鐘を打ち鳴らしたところ、その音で掘り進む方向が分かり工事が再開できたのです。そのため全長60メートルの途中で2度折れ曲がっており内部は真っ暗で、念仏を唱えながら通ると安全であると言い伝えられていました。神威岬にはこのトンネルを通らなければ行けなかったのですが、遊歩道が出来た今は通行止めです。

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そして一キロあまりの遊歩道の終点、遂に神威岬に到着。あいにく天気は良くなかったのですが、やはり神々しさを感じます。七月末頃になるとお日様がちょうど神威岩の上にくると聞きました。

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この辺りの御神体とされている“神威岩”のアップ、まるで神様の立ち姿に見えませんか。「威」(カムイ)とはアイヌ語で神、そうここは神がいる場所なのです。何度来てもここは惹かれる、そんな場所なのでした。










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by Blog_Maya | 2014-07-08 21:43 | 市外
2014年 07月 05日

もてなしの気持ち

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 昨日は夫の仕事関係の来客を市内案内していました。こういうことはよくあります。今回はニュージーランドからのお客さんと聞いていたのですが、イギリス人でした。本場の英語で発音は聞きやすいので案内が楽・・・のはずが、どうしたのでしょう?!私の頭から英語が全然出てこないんです。「どうしたの?珍しいね。」と夫。実は昨日は札幌で仕事があり、それを済ませてから小樽にトンボ帰りしたのですが、私は思いの外疲れていたようです。頭が全然働かない・・。普段の英語力の半分以下でした。ということは、ないに等しいということ。それでも身振り手振りを交え歴史的建造物の解説をし、回転寿司に入って箸を持っての寿司の醤油をつけすぎない食べ方を実演をして見せ、皿の種類で価格が違うなどの合理的なシステムを説明しました。 もっと伝えたいことがたくさんあるのに半分も言えてない・・・、私は本当に歯がゆかったです。

 ところが別れ際、「英語が下手で充分な案内が出来なくて申し訳ありませんでした。」と言った私に、「いいえ、小樽は素敵なところですね。小樽を愛するあなたの気持ちがよく分かりました。今度は家族で来たいと思います。」とおっしゃるではありませんか。仕事上の付き合いもあるので社交辞令もあるとは思いますが、「もう一度来たい、それも家族と一緒に」とは私にとって最高の褒め言葉です。 15年近く案内していますが、この言葉を下さった方の八割は実際にまた来てくださっています。私は老若男女、国籍問わず、「小樽の良さを分かっていただきたい。」「小樽で楽しんでもらいたい。」と思いながら案内していましたが、言葉を越えてそのホスピタリティーが伝わったのだと、大げさかもしれませんが胸が熱くなりました。

 もし本当にご家族でいらしてくださったら・・・、勿論また御案内したいと思います。  それまでに英語勉強しなきゃ。でもやはり「英語は度胸」ですね。



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by Blog_Maya | 2014-07-05 23:07 | diary
2014年 07月 02日

お散歩

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雨続きだった約2週間は車ばかり乗っていたと反省、免許を取るまでは雨の日も風の日も歩いていたのに・・・。
咲き始めた紫陽花。

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気がつけばツツジも輝かんばかりに咲いている。

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歩くのは気持ちがいいのだけれど、馬鹿なことに裸足にサンダルだったので擦りむけを作ってしまいました。
次回からはスニーカー履かないと駄目ですね。








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by Blog_Maya | 2014-07-02 16:47 | diary