ブログ HITOGATA   in Otaru       by摩耶

blogmaya.exblog.jp
ブログトップ

カテゴリ:素象人形( 59 )


2011年 02月 02日

芸術人形指向  <下>

芸術人形の具体性

 人形を芸術として具体的に捉えようとすると、第一に問題になる点は美術工芸界の中で芸術人形の確立した位置づけが安定していないことと、もっと突き進めると主として人体像を作品としている彫刻と同じに人体像を模している玩具的装飾人形との狭間で芸術人形の道とは何かを探しあぐねているいるのかもしれない。 

  可愛らしさと綺麗さのみに過ぎると玩具人形の飾りものになってしまうであろうし、綺麗さを押さえて造形の論理に傾くと工芸の置物になるか、彫刻となってしまうのである。 となると、当然彫刻や工芸の置物とは別の存在として人形を芸術の中に位置づけなければならないのである。 そのためには何を目標にすべきかの問題になるのであるが、これは芸術人形がまったく別な世界となってしまうのものではなく、人形を芸術として捉えようとする限り、彫刻や工芸と同じ造形の基礎概念が要求されるのである。 要するに立体造形の本質的な形式は同じなのである。 又これを無視しては立体像に美を求める芸術的表現は成立しないのである。 例えば彫刻で最重視される量感にしても比例や釣衝の感覚的な捉え方や、停止して動かない形に必要な動静や律動の与え方にしても、形に求める調和の原理にしても、まったく彫刻や工芸の置物と同じなのである。 彫刻では量感を弱める恐れがあるので余り必要としない色彩が人形の場合は大切な命となることが多いのである。 となると、彫刻に色彩を施したならば立派な人形になるのではないかと言うことになるが、彫刻はあくまで彫刻であって人形ではないのである。 では何処に違いがあるかと言うことになるが、この問題を探ることが人形を芸術性のあるものにするか、玩具的なものにするか、彫刻や工芸の置物にするかの岐路となっているようである。 

  此処に至って大別すると二つの問題が考えられるのである。 一つは何是に彫刻は色彩を必要とせず人形には必要なのか、もう一つは造形上の根本論理は同じであっても、彫刻と芸術人形との制作目標なり、表現方法の違いは何処にあるのか。 この二つの問題をもっと具体的に説き明かさなければならないのである。
 
  先ず色彩の問題であるが、彫刻は色彩を無視しているようであるが実際は無視する処か大切な要素なのである。 矛盾したようであるが、それは二次的な作業として施す色彩ではなく素材そのものの持つ色調が彫刻の色彩となっているのである。 素材の持つ色調は、素材の質感の象徴であり、質感の象徴は内面への力、即ち量感に強く関係しているのである。  それ故に彫刻は二次的な色彩を余り施さないのである。 それと表面上の処理の仕方も色調と似た意味を持っており、可塑性の材料を使って整えてゆく操作のモドレともモデリングとも言える味わいは最終的にはブロンズ像の色艶とともに色調の良し悪しの中に加えられて鑑賞されるものである。 木彫りにした処が色彩を施さずとも木肌そのものが色調となっており、鑿あとはモドレの意味になるのである。 木肌に色彩を施した作品もあるが木の持つ質感は毀さず生かしているのである。 たとえ色彩を全面に施した彫刻であっても(抽象作品に多く見る)色彩のあるなしに拘わらず彫刻とは構築性の方行に向かっており、人形はあくまで室内の装飾としての作品なのである。 では二十センチか、三十センチの小品彫刻も室内の装飾品でしかあり得ないのではないかと言うことになるが、確かに装飾品として用をなしているが彫刻であることは如何に小さくとも彫刻なのである。 それは構築性である彫刻の造型を念頭に置いて制作しているからである。 もし全く彫刻としての概念を抜きにして、ただ置物として制作したとするならば工芸の置物と言わなければならないであろう。 となると、工芸の置物は彫刻より下位に位置づけられるものかと誤解されるようであるが、工芸の置物は置物としての格調の難しさがあり、どちらが上位とか下位とかの差はないのである。 これは芸術人形も同じであって、その甚深微妙さはどちらも人の知と技によって創作される芸術を目標にしているからである。

  初めにもどって今度は何是に芸術人形に色彩が必要かの問題になるのである。 第一は芸術人形と言おうと、美術工芸人形と言おうと、人形と言う名称のつく以上は人形と言う綺麗さ、即ち色彩の美しさを抜きにして人形としての存在は有り得ないからである。 第二は逆説になるが、二次的な色彩を施すことによって彫刻や工芸置物でないことの証でもあるし、綺麗さを第一義とする室内装飾作品としての意に叶うからである。 しかし綺麗さにはあくまで格調の高さがなければならない。 日本画の名画に見る素晴らしさを人形という形の中に注ぎ込んだものともみれるであろう。 故に色彩は絵画の部に入るものである。

  次に造型上の問題であるが、彫刻も芸術人形も造型の根本原理は同じでありながら何処に違いがあるのか。 先にも述べたように彫刻は構築性の方行に向かっているものであり、外向的であるのに反して芸術人形は内向的とも言えるものであり、人形に籠める作者の主観的な自己存在性と創造性の訴えなのである。 そうした面では芸術とは作者の感情表現なのであるが、芸術人形とは作者の感情を通して人形自体が醸し出す感情の表現だともいえるであろう。 然もそれは表面に局短に出すものではなく、奥深い処からじんわりと尽きることなく匂い出てくる美妙なる芳香でなければならない。 そのためには顔の作りが最重視されるのである。
 顔の表情が全体の形を作り出すか、全体の形が顔の表情を作り出してくるか、例えば顔を匿した形であっても、全体の形が顔の表情を暗示させられる姿、形でなければならない。 何れであろうと顔の作りが中心となって全体の形が出来上がってくるのである。 その点、彫刻とは無限の空間の中に力の固まりとなって羽ばたこうとするものであり、外向と内向との大きな違いがあると言えよう。

  改めて芸術人形とは何か、と言いきることは出来ないのであるが、立体造形の芸術論理と絵画芸術(日本画風になることが多いであろう)を併せ持ったものであり、より多くの深い人間感情を秘めたものでなければならず、それは言葉のない形の詩なのである。 故に芸術人形を制作しようとする者は立体造形と絵画との、どちらも芸術としての技能と論理を学ばなければならないのである。

  何れあれ最初に述べたように人形を芸術として表現するためには難問が多く匿されており、考え方によっては解き明かせない問題が山積みしているだけにやり甲斐のある仕事なのかもしれないのである。 鑑賞する人も、ただ単に人形と言う玩具的な飾り物と、芸術性のある人形との意味合をよくよく鑑賞してもらいたいものである。 
                                          
                                     昭和五十九年十月   「芸術人形指向」 小林止良於著より抜粋

                                                


 この冊子は当時芸術作品として人形を扱おうとしない道内の美術関係者に業を煮やして、師が配布しました。 そのため芸術人形の認識に重きを置き、色彩のない素象人形に関しての言及はありません。 が、師から教えていただいた人形論が余すところなく書かれています。  長文お付き合いありがとうございました。
[PR]

by blog_maya | 2011-02-02 07:23 | 素象人形
2011年 01月 26日

芸術人形指向 <中>

芸術人形の内容

 玩具人形なり手芸人形と、芸術人形との区別は何処で決めるのかとなると、これは残念ながらはっきりと一線を画することが出来ないのである。  観るものと作る人の物指しを俟つより他にないのであろう。  美術工芸作品と称しても玩具的な飾り物にすぎないものもあるであろうし、たとえ手芸品の展示場に並んでいても内容は優れたもので美術工芸品として受け取れるものもあるであろう。 作る人も観る人も、人形としての芸術作品とは何かの原点に戻って考えなければならないことになる。  だがこれは美術評論家か、実際に制作に当たっている作家の問題であって、一般的には論理ではなくて感覚で捉えるよりほかにないのである。
  
 二回目の素象人形展と名付けた私の個展の会場で来客と親しく話をしている折りに、こんなことを口にしたのを覚えている。 「頭で覚えたことと、心で覚えたことと、体でおぼえたことを、私という感情の風呂敷にほうり出したものが作品なのです。」と、話のやり取りの中でふと思いついた儘を軽い気持ちで言葉にしたのであるが、後になって改めて考え直してみると簡単に片付けられることではないようである。  頭とは智識であり、詰め込んだものとも言えるであろう。 心とは智慧であって詰め込むものではなく、自分の人生経験や本で読んだり教えられてきた諸々の智識を自分なりの人間性の中で咀嚼して放出するものなのであろう。  体とは体験であり、行動であって、技術の習得である。  そして風呂敷とはその人その人の持つ感性であり個性であって、人格的な価値とも言えるのである。 換言すれば、真と美と壮と善になるのかもしれない。  真とは道理であって偽りのない真実であり、美とは真実の中より生ずる知覚であり感覚や感情に訴える内的快感なのであろう。  壮とは健全なる心身を持って制作活動に充実出来ることである。 善とは倫理上の善であると同時に個人を含む人格とも言えるのである。  思うにまかせて喋ったことを勝手に解釈してみたのであるが、ここで言う美とは心であり、精神であって、直接造形上の美ではないようにも取れるのであるが、この美と言う文字は美術の美であり、美しいと言う華美にも通じており、造形上の美であることも論を候ないのである。 美という言葉は精神と容姿、即ち心と形の二重構造になっているのである。  それに日本人的な感情をさらに加えると、わびとかさびとか幽玄、それにももののあはれと言った無常観にも通じる仏教的な縁起の思想にまで無意識の内に美と言う感覚となって捉えているのでなかろうか。

  芸術性を表現する美を人形に求めようとするならば、どうしてもこの日本人の心の奥深くに隠されてる血の流れとも言うべき日本人的な審美の知的、情的な感受性を無視することは出来ないようである。  このように言うと芸術人形とは日本風俗を模した日本人の姿、形でなければならないと言う誤解を受けるおそれがあるが、衣服や装い、それに何時の時代であろうと、何処の国の風俗や人物であろうとそんなことは問題ではなく、形の中に内蔵されている情操のことであり量感なのである。  この場合の量感とは重量的ではなく、人形に籠められた人間感情の重厚さなのである。 それは音のない音律でもあり、言葉のない詩とも言えるであろう。  いま此処で欧米の人形を取り上げてみると、西洋人形と言われる伝統のある高級人形は綺麗さと、材料の高価さと技術の巧みさだけに価値づけられているものであって、あくまで高価な飾り物の玩具人形なのである。

 美を心と形の二重構造として直感的に捉える術を知っている吾々は美術工芸の範疇の中で取り分け人形は人の姿を模すことだけに価値づけられる作業であるから、その形態の中には、より一層に精神的な美を要求されるのである。 芸術人形を作ろうとすることは人形を創作っているのではなく、人情を創作っているのである。  
 
   
 

                                       昭和59年発行 「芸術人形指向」 小林止良於著より抜粋
[PR]

by blog_maya | 2011-01-26 08:17 | 素象人形
2011年 01月 22日

芸術人形指向 <上>

年末の片付けの際、久しぶりに恩師 小林止良於氏が芸術人形の概念を纏めた冊子に再会しました。  この機会に一部抜粋し、何回かに分けて紹介させていただこうと思います。

                                 
                                       
人形の呼称

 人形を美術工芸の中に加え、芸術性のあるものとして捉えようとすると、どのような考え方を持って制作し、また鑑賞しなければならないのであろうか。  その前に人形と芸術という言葉とは結びつけるのは無理がある。 人形と言う言葉の持つ印象は、人形を「お人形さん」とさん付けして呼ばれるように、抱きかかえて愛玩する可愛らしさや綺麗さのある人形を指すか、お雛様のように飾って姿、形、色彩による綺麗さを求めて楽しむものであり、どちらも玩具としての人形になってしまうからである。

 人形を作品として認め、美術工芸の中に参加しようと活動したのは昭和の初めであり、実際には昭和十年の第一回帝展の工芸部門に初めて参加できたのである。 それだけに人形を美術工芸として捉えようとするには歴史的にも日が浅く、人形と言う呼称からだけでは一般的にどうしても玩具としての印象に傾かざるをえないのである。  昭和の人形作家達は芸術性のある作品制作のために、一般商品としての人形とは別に、創作人形としての芸術の創造性と主観性を唱え、如何に制作したならば芸術価値のある作品になるかと模索し、人形も立派な芸術価値のあることを認めさせようと努力を続け、現在に至ったのである。 当時は創作人形の創作という言葉が芸術人形に相応しい新鮮な言葉として受け取られていたのであるが、最近では女性的な仕事である手芸が手作りで新たな姿態のものを考案し、創作人形と称しているため、芸術表現の持つ意味としては稀薄なものとなっているようである。  だからといって手芸が創作という言葉を使ってはいけないという理由はどこにも無く、玩具人形だろうと、手芸人形であろうと創作は創作なのである。  けれど手芸とは文字通り手先の遊びの芸であって、楽しむ遊びの作業と考えなければならない。  新しい手芸人形を工夫するのに大変な時間と努力を要したとしても、考案された技法はその技法と手順を普及して大衆の生活の中に楽しみと潤いを与えるためのものなのであろう。  芸術の中に求める美とは、美学と言う学術的な基礎内容を要するものであり、美学的な智覚の論理を正当化しようとする終わりなき表現の積み重ねなのである。  となると芸術性を目標にする人形を何と称したらいいのであろうか。 一応は美術工芸人形か直接に芸術人形と言うよりほかにないようである。
  
 人形という名称より受ける印象に就いて思考してきたのであるが、名称より観賞者に与える意義は大きいものであり、感情なり、感覚への影響は無視出来ないはずである。  作者の立場にあっても、芸術性を追い掛ける程に人形という呼称に就いては解けきれない宿題のようなものとなっているのではないかと思われるのである。   

                                          昭和59年発行 「芸術人形指向」 小林止良於著  一部要約

<補足>
1995年(昭和30年)より現在までに重要無形文化財保持者(人間国宝)として衣裳、紙塑、桐塑の人形作家7人が認定されています。  
[PR]

by blog_maya | 2011-01-22 14:57 | 素象人形
2010年 09月 13日

素象人形  泥(ひじりこ)の会展 始まります

d0110197_17394778.jpg

今日が搬入日、無事納めてまいりました。
d0110197_17403691.jpg

故小林止良於氏の弟子五人の素象人形  泥の会展です。
d0110197_17412068.jpg

今年は全部で15点の出品になりました。   私は18(土)、19(日)会場におります。 
お近くにお越しの際はお立ち寄りくださいませ。

※なお最近携帯やデジカメ等で許可なく撮影する見学者が見受けられるようになりました。  
著作権に触れる場合がございますので、ご遠慮願います。




素象人形  泥(ひじりこ)の会展

2010年9月14日(火)~20日(月) 10:00AM~5:00PM(最終日は4:00PM終了)
札幌市資料館  二階 ギャラリー3号室
札幌市中央区大通13丁目
TEL    (011) 251-0731
[PR]

by Blog_Maya | 2010-09-13 20:13 | 素象人形
2010年 06月 29日

撮影の難しさ   光

                                 「夏の日差し」
d0110197_15405157.jpg

テラコッタ土 素焼き焼成です。小さい頃外遊びをしていていた娘の一瞬の仕草を切り取りました。
今は大きくなって生意気盛りの彼女もこんなに可愛い頃があったのだと懐かしく思い出されます。
それにしても素象人形を撮るのは骨が折れます。 フラッシュを焚くと反射して白トビしてしまうし、
d0110197_1533643.jpg

角度によっても印象が違うのは勿論、
d0110197_15341150.jpg

フラッシュを焚かないで撮ると色が違い、
d0110197_15353427.jpg

露出をいじっているとピンボケになってることに後が気が付いたり・・・。 それにお花の写真や小樽の街撮りも楽しくっていけません。 けれど、写真を通して視野が広がった気がするし、絶対創作にプラスになっていると思うのです。 子供も手が掛からなくなってきた今、時間を有効に使っていろんな事を貪欲に吸収していこうと思っているのでした。 
 

 
   
[PR]

by Blog_Maya | 2010-06-29 16:02 | 素象人形
2010年 05月 20日

素象人形と彫刻の違い

d0110197_18534238.jpg

                                                     「羅 漢」


 以前初めての個展を開催した際、新聞社からの取材で「摩耶さんは彫刻家ですか?それとも人形作家なのですか?」と一番最初に聞かれました。 「素象人形展」と冠しているにも関わらず、尋ねるということは 記者の方は私の作品を人形と呼ぶ事に納得していなかったのかもしれません。 確かに素象人形は彫刻家小林止良於氏が創始者。 デッサンに正確な素象人形に記者がそれまでご覧になった手足が小さい可愛らしさを求めた お人形と違いを感じるのは当然の事です。 
 素象人形の「素」とは無地、飾らないこと、「象」とは心に浮かんだ姿、かたち。 素材は陶土で成形後、縮み割れを防止する為、中を空洞に貫き乾燥後、焼成して仕上げたテラコッタです。 初めて聞く方には理解が難しいかもしれません。 写真でもなかなか伝わらないので、実際に作品を見ていただきたいところです。

 では彫刻と素象人形の違いとは何か、今日は私なりの考えを述べたいと思います。 彫刻は全身、首、胸像とありますが、すべて屋外、または部屋空間を宇宙とします。 それに比べて素象人形は床の間、あるいはリビングボードの上などの空間が宇宙。 彫刻は内包するエネルギーがあるとしても、それは外に向けて発信されるものであり、素象人形は内にその情感を秘め、見るものに共感させるのです。 ある人が「彫刻は裸で人形は服を着ているのが違うところだ。」と言っていましたが、これは少し違います。 私が思うに、着衣彫刻はその衣服の下に筋肉の存在を示しているのです。 また裸体の素象人形があったとしても、それは肌を強調する事はなく、情という衣を纏って完成していることでしょう。 彫刻は衣服があっても限りなく肉体に迫り、また逆に素象人形は裸体に肉薄する事はありません。

 素象人形は私にとって立体の詩。 文字はないけれど、作者の想いを素象人形という媒体を介して御覧下さる方に届けたい・・・そう思って制作しています。 「色がないのは人形じゃない」と言われることも多いですが、色は限定した世界を作り上げてしまいます。 付けないことで、よりイメージを拡げる事が出来、作品を奥深く感じていただきたい。 お人形にない「内面の美」、彫刻にない「手頃の美」、素象人形をそんな風に受け入れていただけたらと思います。

ー追  記ー
彫刻家 小林止良於氏の芸術人形論の記事
人形に問う
芸術人形指向 <上>
芸術人形指向 <中>
芸術人形指向 <下>










[PR]

by Blog_Maya | 2010-05-20 16:37 | 素象人形
2010年 02月 23日

千本ノック 続編

d0110197_2114196.jpg

スランプ克服法として去年十月から制作に入った首、ようやく一月初めに出来上がり、乾燥期間を経てようやく焼成に至りました。モデルをお願いしての制作、しかも初めての男性。 最初の一ヶ月はどうしても女性の顔にしかなりませんでしたが、なんとか男性の骨格を形成できました。けれど男性の髪型とかもみ上げとか今までにない形に四苦八苦・・・。自己採点65点です。 
お会いしたことはないですが、奥様がご覧になったら「うちの主人はもっと素敵よ!」と怒られそう~。モデルのいい面が出ていないのが残念で申し訳ありません。目指したのは、博識だけれど謙虚で温厚さが滲み出ているような表情だったのですが・・・。  
d0110197_21262624.jpg

それでもこちらの雑誌の女性写真を参考に2004年に制作したものと比べてみると、顔の表情の作り方に進歩が見られたかなと思います。実在の人物にモデルになっていただく有り難さを改めて実感しました。協力していただいた方々に改めて感謝して二作目に突入いたします。 NEXT ONE!!

復帰直後の首発見
[PR]

by Blog_Maya | 2010-02-23 21:36 | 素象人形
2009年 12月 01日

千本ノック

二年前頃から自覚していたスランプ。  騙し騙し制作活動を続けていたけれど、どうにかしなければとずっと思っていました。  「いいものを見て、本を読む。」、これは恩師が日頃言い続けていた言葉。 しかしスランプについて伺ったことはなかった。  どうすればいいか、自分で考えるしかありません。 そんな時 陶芸家 桃青窯さんのブログで知った千本ノック。 ロクロで手に仕事を覚えさせる為、茶碗なら茶碗を百個単位で千個を目指して作り続けるそうです。

私にとっての千本ノックってなんだろう? 考えた結果、まずは肩から上の首を作ろうと思いました。 どこぞのキャッチコピーにあった「人形の命は顔」ではないですが、一番難しいのは顔です。  でも問題はモデルでした。 家族はさんざんモデルに付き合わされてもううんざりしています。 私ももう新鮮な気持ちで向き合えなくなっている・・・。  では誰にお願いすればいいのか・・・それが問題でした。 
誰でもいい訳ではなく、私にとって創作意欲が湧く対象でなければなりません。  自分が動かなければ何も始まらない・・・。
d0110197_9331316.jpg

考えた末に私は勇気を振り絞ってお願いしに行きました。 そこは小樽の屋外で夏に開催された鉄路写真展会場。 個展時に写した素象人形の写真を見て頂き理解を求め、勉強のためのモデルをお願いしてまわったのです。 幸い快諾いただき、初対面の方を含めて男女十数人の写真を様々な角度から撮らせていただきました。 

そしてこちらが後姿ですが、第一号。 写実はほとんどしたことがないうえ、男性は初めてなのでとても難しいです。 でも目の配置、顎の形、唇の厚さ・・・写真を見ながら、じっくりと粘土と向き合うのはとても勉強になるし、必ず私の力になってくれると思います。 手をつけてから約二ヶ月、年内には仕上げて乾燥させたいと思って制作していますが、昨日息子が「まるでストーカーみたいだよ。」と。(笑)  確かに同じ人の写真を何枚も並べて毎日毎日眺めている様子は傍から見るとちょっと尋常じゃないかもしれません。  上手く出来ないかもしれませんが、協力して下さった御厚意に感謝しながら勉強させていただいています。
[PR]

by Blog_Maya | 2009-12-01 09:35 | 素象人形
2009年 09月 18日

師の教え 3   

資料を整理していたら、恩師 小林止良於氏の芸術人形論が掲載された記事をみつけました   
今日は おさらいする気持ちで一部抜粋して紹介させていただきます
d0110197_2344222.jpg


                        人形に問う                      小林止良於 

能楽の伝書である世阿弥の風姿花伝に「秘すれば花なり、秘せずば花なるべからず」とあるが、それは観る人に感動を与える花は表面に出すべきではなく、演じる者の心に秘められたところに咲かすべきだと言っているようである。玩具人形や装飾人形より脱して人形に芸術性を求めようとするなら、世阿弥のいう秘すれば花とは人形にも通じる言葉であると思うのである。  能は演じる動作の中に美を表現するのであるが、人形は静止して動かないという大きな違いがある。静止している形であるだけに、なおさらに内蔵された美が要求されるのであろう。それと秘する花とは、真実性であり、自然に、素直に、形の中より滲み出てこなければならない美なのであろう。 

 では、秘められながら表に出る人形の美とはなんなのであろうか。それは形自体が人形という人の姿態を模して表現するものであるから、他の造形よりも必然的に人の情けに重きを置かなければならなくなるのである。要するに秘められた表に出る美とは、人形という形の中に込められた情けなのである。情けとは、情けに伴う自然な姿態であり、姿態よりいでてくる顔の表情なのであって、それは恋情であり、友情であり、親子の情なのである。そこには悲しさがあるからいとおしいのであり、いとおしいから悲しいのである。愛と書いてかなしいとも、いとしいとも解釈出来るところに人形の花が秘められ、芸術としての人形が表現され、観る人に好感を与えるのであろう。

 このように記してくると人形の美とは人情話を形にしたものかと誤解される恐れがあるが、劇的な表現であろうと表現される形はいずれであれ、表現された人形自体の人格が問題なのである。作られた形が幼児であれ、少女であれ、大人であれ、それぞれの姿態の中には人格がなければならない。人形に人格と言うのはおかしいとするなら、気品であり、優雅な奥ゆかしさとでもいうべきであろう。 優れた美を表現するためには、まず優れた技を要求されるのは当然であり、優れた技とは一朝一夕になるものではなく、繰り返しの修練によって得られるのであるが、ただ技の繰り返しによって造りだされるだけでは芸術は許されないのである。常に創造性が伴っていなければならず、個々の人間性によって生じる知と技が個性となり、その魂を人形に移し込むところに人形芸術の所以があるのでなかろうか。
                                          北海道新聞   1986年2月22日 記事一部抜粋

この記事が掲載された時はまだ私は師に出会っていませんでした    内弟子として初めて工房を訪れた時に渡されたと記憶しています   今時期 この記事が出てきたのは「初心忘るべからず」と師が導いてくれているのかもしれません
[PR]

by Blog_Maya | 2009-09-18 23:00 | 素象人形
2009年 05月 30日

師の教え 2

d0110197_8522548.jpg
 ひ と が た 
人  形

つげ箆の細い先に取り上げた
涙粒の半分程の粘土は
粘土ではなくて金塊
いや 宝石
いいえ それ以上の
命の精なのです
ほら
この小さな粘土を
この人形の鼻先につけると
命が蘇ってくるでしょう
唇の処にもってゆくと
言葉が聞こえてくるでしょう
もはや粘土ではなくて
神より与えられた
肉と魂なのです
天地創造の神が
人間を泥より創り給うたという
意味が
解るような気がしてきました

             平成元年七月一日
                      小林   止良於


「師の人形論を広めたい」と思いながら、なかなかできないでいました   上の詩は生前先生が作られたもので、見事に作り手の思いを表現しています    これ以上足す事も引く事も必要ない位凝縮されているのでした   本当は縦書きの方がこの詩にふさわしいと思うのですが、残念ながらブログには縦書きの機能がありません    私は行き詰った時 よくこの詩を口ずさんでいます      だからといっていいアイディアが湧くわけではありませんが・・・     
何かにすがりたい時ってありますよね
[PR]

by Blog_Maya | 2009-05-30 08:55 | 素象人形