2011年 01月 22日

芸術人形指向 <上>

年末の片付けの際、久しぶりに恩師 小林止良於氏が芸術人形の概念を纏めた冊子に再会しました。  この機会に一部抜粋し、何回かに分けて紹介させていただこうと思います。

                                 
                                       
人形の呼称

 人形を美術工芸の中に加え、芸術性のあるものとして捉えようとすると、どのような考え方を持って制作し、また鑑賞しなければならないのであろうか。  その前に人形と芸術という言葉とは結びつけるのは無理がある。 人形と言う言葉の持つ印象は、人形を「お人形さん」とさん付けして呼ばれるように、抱きかかえて愛玩する可愛らしさや綺麗さのある人形を指すか、お雛様のように飾って姿、形、色彩による綺麗さを求めて楽しむものであり、どちらも玩具としての人形になってしまうからである。

 人形を作品として認め、美術工芸の中に参加しようと活動したのは昭和の初めであり、実際には昭和十年の第一回帝展の工芸部門に初めて参加できたのである。 それだけに人形を美術工芸として捉えようとするには歴史的にも日が浅く、人形と言う呼称からだけでは一般的にどうしても玩具としての印象に傾かざるをえないのである。  昭和の人形作家達は芸術性のある作品制作のために、一般商品としての人形とは別に、創作人形としての芸術の創造性と主観性を唱え、如何に制作したならば芸術価値のある作品になるかと模索し、人形も立派な芸術価値のあることを認めさせようと努力を続け、現在に至ったのである。 当時は創作人形の創作という言葉が芸術人形に相応しい新鮮な言葉として受け取られていたのであるが、最近では女性的な仕事である手芸が手作りで新たな姿態のものを考案し、創作人形と称しているため、芸術表現の持つ意味としては稀薄なものとなっているようである。  だからといって手芸が創作という言葉を使ってはいけないという理由はどこにも無く、玩具人形だろうと、手芸人形であろうと創作は創作なのである。  けれど手芸とは文字通り手先の遊びの芸であって、楽しむ遊びの作業と考えなければならない。  新しい手芸人形を工夫するのに大変な時間と努力を要したとしても、考案された技法はその技法と手順を普及して大衆の生活の中に楽しみと潤いを与えるためのものなのであろう。  芸術の中に求める美とは、美学と言う学術的な基礎内容を要するものであり、美学的な智覚の論理を正当化しようとする終わりなき表現の積み重ねなのである。  となると芸術性を目標にする人形を何と称したらいいのであろうか。 一応は美術工芸人形か直接に芸術人形と言うよりほかにないようである。
  
 人形という名称より受ける印象に就いて思考してきたのであるが、名称より観賞者に与える意義は大きいものであり、感情なり、感覚への影響は無視出来ないはずである。  作者の立場にあっても、芸術性を追い掛ける程に人形という呼称に就いては解けきれない宿題のようなものとなっているのではないかと思われるのである。   

                                          昭和59年発行 「芸術人形指向」 小林止良於著  一部要約

<補足>
1995年(昭和30年)より現在までに重要無形文化財保持者(人間国宝)として衣裳、紙塑、桐塑の人形作家7人が認定されています。  
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by blog_maya | 2011-01-22 14:57 | 素象人形 | Trackback | Comments(0)
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